台湾の花蓮市、ここは、観光地でも有名なところである。1982年1月台湾で旧正月を迎える事になった私は、1週間もの休みをどう過ごしたら良いのか迷っていた。春節(旧正月)までの1ヶ月間は会社の稼ぎ時という事で、1日の休みもなく働き詰めの毎日だったので体は疲れていたが、いざ休みとなってもやる事は無いのである。ましてや、その頃は独身、彼女もまだ居なかったので暇を持て余すはずであったが、ここは親切な台湾人、「うちの家族と一緒に旅行に行こう」とお誘いを受け旅行と相成った。出掛けた先が台湾中部の花蓮であったのだ。当時は、道も不便で山岳部の山道を2日もかけて走ることになるのだが、何と手配してくれた高級乗用車”ベンツ”であった。車を持っていることがステータスであったその時代の台湾で、”ベンツ”は超高級クラス、当然私も初めて乗る車であった。友人曰く「金持ちの親戚が貸してくれたよ」との話。険しい山岳道路だったがベンツは、それをものともせず良く走ってくれた、さすが・・・台湾の東海岸(太平洋の面する側)は、海岸線近くまで山岳地帯が張り出す厳しい地形で山岳地域は、切り立った山々と深い谷で日本の中部山岳地帯のような地形である。何せ日本と同じ約8割が山岳地の台湾 富士山より標高の高い”玉山”(新高山)など著名な山が連なる。中国大陸からレーダーの目をかいくぐり、海を這うように台湾を襲うであろう中共空軍に西海岸の空軍基地は奇襲を受けても、東側はその恐れが少ない為、台湾空軍は東海岸に大きな基地を2つ構えていた。
 花連の西側の山岳地帯は大理石の宝庫であり、山自体が大理石と石灰岩でできている。その山を刳り貫きながら観光道路を建設し、全山大理石の渓谷の景観を楽しむことの出来る”太魯閣渓谷”は、実に美しい場所であった。花蓮空軍基地の事を知っていた私は望遠レンズも持参していたものの、結局その時は山の風景を撮るだけで終わった。しかし 台湾にこんな美しいところがることを知って感動したものである。また、此処では山芋で作ったアイスクリームが名物で、これもまた美味しかった。 
最初の2機のF-5Eは、着陸位置と撮影位置の間合いが分からない。少し多めに距離を取りながら撮影位置を決める。編隊着陸であるから尚更ポジション取りは難しい。尾翼のマークは、第8大隊のドラゴン、これが美しくグレーの尾翼に輝く。F-5E/Fは、2機のフォーメーションで次々に現れ着陸していった。我々は これが撮れただけでもここに来た甲斐があったと満足して基地ゲートに向かった。

↑ 生産15号機、西海岸の航空団には少ない古い機体である。

F-5F/5369/78-0876
F-5E/5241/76-1636 & 5171/75-0344
さて 時代は干支を一回りして12年後の台湾。1994年の8月、今度は観光ではなく 花蓮の空軍基地を目指しての旅である。混み合った台北駅から列車に乗り海岸線に沿って8時間ぐらいだろうか・・各駅停車の鈍行列車ではなかったはずが、朝出発して延々と列車に揺られ、着いたのは夕暮れの花蓮駅、途中の風景は左手が海、右手は海まで迫る山岳地帯で私はタバコを吸うために列車の乗降口を開放して生の風景を見ながら旅を楽しんだ。時々巡察に来る車掌に「危ないから扉を閉めて」と言われても、車掌がいなくなると皆扉を再度開放して外を眺めていた。
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F-5E/5156/78-0031 & 5162/78-0037
第8大隊
8th AIR GROUP
← 朝霧が少し残る中、ランウェイにアプローチするF-5のランディングライトが良く見える。
The Period of F-5E/F

↑ F-5Fの生産52号機、後部座席にはお客さんを載せているようで白いヘルメットである。

F-5E/5230/76-1625
Insignia of 828TFW
1994年の花蓮基地航空祭で展示されたF-5F(5388)。この機体は、1997年9月僚機F-5E(5288)と共に1山に衝突して失われている。パイロット3名が殉職、合掌。
F-5E/5130/74-0987
F-5E/5102/74-0959
F-5F/5402/83-0128
F-5E/5115/74-0972

この日は2機編隊での着陸が多かった。航空祭を前に控え、ショー本番では低空での編隊飛行展示が有る為、事前訓練を兼ねていたのかもしれない。

F-5F/5388/83-0114
太平洋から吹き込む水分を吸った空気が高く聳える山々に遮られ 白い雲となって山肌を掠める。その為 夏の花蓮の海岸は、山の緑と空海の青、そして雲の白が織り成す芸術的な風景で、航空機撮影においても これらの情景を入れたシャッターチャンスに恵まれ なんとも愉快である。
F-5F/5369/78-0876 & F-5E/5230/76-1625
F-5E/5144/75-0317 & 5151/75-0324
F-5F/5369/78-0876 & F-5E/5230/76-1625
F-5E/5248/77-0331
↑ F-5E国内でのライセンス生産2号機。古い機体には迷彩グレーの濃淡がはっきりして、濃淡色の境界もはっきり判る塗装が比較的多かった。
↑花蓮基地近くの海岸線、ここは太平洋に面し訓練空域も広い。背景に見えるのは台湾の東側を南北340Kmに走る中央山脈の山々。3000m級の山がずらっと並び、周辺の気流は不安定で霧が掛かる事が多い為、航空機の衝突事故も起きやすい。
1992年から基地開放で一般公開を始めた花蓮基地であったが、当時2年サイクル(隔年)でしか公開しないと言われ、友人と「こんな所まで来て、万一中止だったら泣きだね」と言いながら、薄暗い花蓮駅を出て宿を探すことにした。レンタカーの手配も済ませ、翌日は朝6時には基地周辺の探索である。幸い駅のロビーには基地公開のポスターが添付してある。翌日朝、基地ゲートで航空祭の開催を再確認して海岸に向かう道路を西に走った。朝、ホテルで聞いたジェットの音で何機かが離陸して行ったのが判っていたので、それが撮れる可能性があったのだ。我々は海岸に駐車し砂浜に降りてそれの帰りを待った。道路で撮っていては、基地の衛兵から丸見えなのである。
朝日に輝く花蓮駅 
基地の開門まで未だ1時間以上ある。海岸で帰ってくるはずのF-5E/Fをひたすら待った。花蓮には3個飛行隊のF-5E/Fがいて、新竹基地で一部は撮影できていたが、やはり本拠地で撮るのが醍醐味である。ど近眼の私も軍用機のランディングライトを発見する時は、やたらと目が良くなる・・・ずっと海の方向をどちらからアプローチしてくるのか見渡していた。すると、友人が突然「やばい カメラを隠せ!」と。
 海岸線を警戒している巡視艇が我々のすぐ近くに迫ってきていた。「まったく・・基地の衛兵だけでなく海にも注意が必要なのかよ」とブツブツ呟きながら、巡視艇が通り過ぎるのを待つ。こちらに双眼鏡を向けて監視しているではないか。

 
 これをやり過ごし 再び我々が空に向け警戒態勢に入る。暫くして、来ました、来ましたよ!!ピカッと光る2つのランディングライト。F-5に間違いない。海と山の美しい風景に溶け込むように現れた2つの光は、やがて黒い2つのシルエットとなって次第に我々に近づいてきた。
これを撮るために、昨日は暑い列車で何時間も揺られながら此処まで来たのよ!でも、そんな疲れも吹っ飛ぶ嬉しさである。
正門をすぎて 海岸に向かう基地周辺道路を下っていくと 海がきれいに開ける。この道のいくつかのポイントで タキシングが撮れそうであるが 停車するなり衛兵が飛んできて「車を止めるな!」と恫喝された。さらに進むとシェルター郡が見えてくる。切り立った山岳と白い雲 そして青い海が花蓮での写真撮影に大きな魅力を与えるのだ。
Hualien Station in Aug,1994
Road of Hualien Air Base side 1994